水の器: ハーヴェステラ:貴重品考察─イヴと蛇と、約束の果実(6) ハーヴェステラ:貴重品考察─イヴと蛇と、約束の果実(6) - 水の器

2023年1月28日土曜日

ハーヴェステラ:貴重品考察─イヴと蛇と、約束の果実(6)

■楽園の終わり(「楽園の遺書」を利用した創作)

【概要】

楽園の終わりと呼ばれる説話集。ゲーム内で手に入るのは以下の5つ。

・一篇『永遠』

・十二篇『増殖』

・四十一篇『遡行』

・七十五篇『無限』

・百十八篇『失楽』


【他の書物とあわせて推測できること】

『楽園の終わり』は「寓話製造プロジェクト」でつくられた説話集である。製造者である人工知能ソフィアは、「楽園の遺書」に書かれた楽園の滅亡因子を物語化するにあたり、赤い髪の青年を主人公とした。不治の病を患った蒼き髪の妹がいる、林檎を手に楽園を巡る旅に出るなど、棺の国の首長であった彼がモデルになっているようだ。


【思考】

前のポストで確認しましたが、『楽園の終わり』は「楽園の遺書」を基に製造された寓話です。100話以上が作られたうちの5編しか手に入らないものの、1話(物語のはじまり)・12話(『楽園の遺書の断片』に対応)・108話(最終話)と重要回を確認できるため、なんとか物語全体の輪郭を知ることができます。


赤い髪の青年が登場するので、彼の足跡をたどれるかもしれないと期待を抱くのですが…。これについては考えれば考えるほど深みにはまってしまいそうです。言わずもがな、これまでの文書と違って『楽園の終わり』だけは創作物だからです。


「楽園の遺書」が完全なる叙事ゆえに思考の余地がなかったのとは反対に、『楽園の終わり』は想像の余地しかないと言えます。楽園の滅亡因子という事実の核はあれど、他の事象も登場人物もセリフも、すべてはソフィアのさじ加減ひとつ。地球に存在した数多の物語を参照しつくられた”ツギハギ”の虚構です。その中に眠る青年の事実を探り出そうと想像を広げるのは、楽しいといえば楽しいですが、不毛さも感じてしまいます。


十二篇『増殖』を見てみましょう。事実を寓話化するに当たり、どのような創作が加えられているかを、基になった「楽園の遺書」と見比べることができます。


まず、第十二の楽園が滅びた理由(事実)はこうです。

その楽園に住まう人間は、種の保存の研究を行なっていた。内容は、人間のクローンを繰り返し増殖すること。しかし、複製された人間は皆同じ自己認識を持つことになり、自己同一性(アイデンティティ)が保てず自我が崩壊してしまった。


この事実が寓話になるとこうです。

”増殖”を求めた楽園では、同じ「私」を持った人間たちが口論を続けている。そこに蛇があらわれ、「諍いをおさめましょう」と林檎を差し出した。林檎を口にした人々は次々と数を減らし、最後は一人だけになった。そして彼女も楽園を後にした。


唐突に”蛇”が登場しますが、これは他の話も読むと赤髪の青年を指しているであろうことがわかります。「楽園」「林檎」「イヴ」といったキーワードからソフィアが『創世記』を参照し、彼を蛇にたとえたのでしょう。(『創世記』の楽園に生えていた木の実が林檎であったのかという論は今は置いておきます)


寓話のほうを見ると、青年が差し出した林檎によって楽園の人々が死んだような話になっています。しかし事実ベースで本当にそんなことがあったのでしょうか?楽園の崩壊はあくまでクローンの研究によるものであり、寓話内の「お前が私を名乗るのならば私はお前を」「お前がその気ならばこちらも」も事実に基づいているとするなら、お互いをころしあったようにも思えます。


ここでまた「バイバイ ヒューマン」も思い出してみましょう。あのサブクエストも楽園の崩壊理由を知ることのできた貴重な例です。体を機械化する研究の果てに人間の自我が崩壊したという話であり、そこに赤髪の青年はまったく関与しません。しかし、もし『楽園の終わり』に書かれた該当話を読むことができたとすれば、赤髪の青年は登場するでしょう。こうなると、赤髪の青年は一連の物語に関連性を持たせるため、進行役として登場しているに過ぎないように思えるのです。


大元に立ち返って、『楽園の終わり』の目的をおさらいしてみます。「こんなことをすると滅びてしまうんですよ」という教訓を、”幼児期に刷り込む”ためのものです。つまり『楽園の終わり』は、児童向けの物語。「複製された人間はお互いをころしあいました」という物騒な表現が回避され、子供のしつけによくある形に変換されたのではないでしょうか。「悪いことをすると、怖い蛇がやってきますよ」という形に。


以上を自説として、一つずつ寓話を見ていきたいと思います。


●一篇『永遠』

その楽園では永遠を求めた、とされています。『蒼き髪の挟まった手記』との内容の一致から、「その楽園」とは実際に赤い髪の青年と蒼き髪のイヴが住んでいた楽園でしょう。一篇は「青年が銀の果実を手にほかの楽園を巡る」という”物語の始まりのための物語”であり、他の話とは違う点が見受けられます。


それは”永遠”を求めたゆえに同楽園が滅びたわけではないこと。他の話では『増殖』『遡行』『無限』と、滅びの原因が題になっています。『永遠』もその通りに読もうとすると、”永遠”を求めたせいで楽園内に不治の病が蔓延したことになりますが、『手記』を読む限りそのような事実ではなかったはずです。


”永遠”を求めたのは青年ひとりであり、彼の滅びは最終話で描かれることになります。


この寓話で、銀の林檎は「禁断」「絶望」と表されました。私は実際には病の治療薬だったと考えていますが、この寓話で青年=怖い蛇と設定したなら、手にする林檎は滅びをもたらすものと意味付けられたのでしょう。『創世記』の失楽園が同寓話の素材に使われているなら、林檎は食べてはいけないもの、食べたことで楽園を追われるもの=楽園崩壊の要因と繋がれた可能性も十分にあります。また現実でも、未完成状態の林檎を食べて多くの人が亡くなったという事実はあったのかもしれません。


謎の翼の少女は…何でしょうね。彼女については正直考えても仕方ないような気がしています。青年と同じく、事実を物語たらしめるための存在でしょう。実在か非実在かで考えると、翼が生えているので非実在ですが、どこかの物語からもってきたのか、彼女にもまたモデルがいたのかは知りようがありません。ソフィアは翼を持った存在を出すのが好きみたいですね。好きというか、人智の及ばぬ存在の象徴としてわかりやすいからもあると思います。”よくある設定”ですしね、謎の少女。


私たちがこのゲーム内で出会う”翼を持った少女”といえば例の3人ですが(あれを翼と呼ぶのであれば)、『楽園の終わり』製造時に、レーベンエルベの持つ物語データの中に彼女たちの話があったとは思えません。例の宇宙飛行士がセレーネの物語をのこしていればあるいは…ですけれど。他には、アニムスのプロジェクトガイア資料が月の揺りかごのライブラリーに紛れ込んでいて、一般的には地球の中心にはマントルがあるとされていたので、研究資料ではなく物語のほうに分類されて…とか?


際限ない想像になるのでこのあたりにしておきます。


●十二篇『増殖』

これはもういいでしょう。まだ言及していない要素といえば、最後に残った1人ですね。彼女もまた楽園を後にした…の意味は、この話だけでは曖昧ですが、おそらく青年とともに楽園を立ち去ったのだと思われます。(最終話で述べます)


●四十一篇『遡行』

この話も少し特殊で面白いです。他の楽園では「よくない研究」をしていた人間が青年の林檎で消えるのですが、この楽園では青年がやってきた時点で住民はみな赤子の骸になっています。急にホラー。児童向けどうした。


レーベンエルベに課せられた三大禁忌のひとつに、「時間の研究を禁じる」があります。よって、この楽園の求めた”遡行”の研究はまさに罪。研究に携わっていたとおぼしき人物は”罪人”とまで呼ばれています。赤き蛇(青年)に「時の遡行は偽りだ」と言わせていることといい、レーベンエルベ・ソフィアの「これは絶対ダメ」という思考が強めに出ている気がしますね。


とはいえもちろん実際に起きたことは時の遡行ではなく、肉体的な細胞の若返りでしょう。住民が赤子になっていたのは、処置や薬が失敗して若返りが止まらなくなったせいか、欲望が止まらなくなってしまったせいか…。どちらにせよ恐ろしい話です。


現実で赤髪の青年が訪れた時も、既に滅びていたのでしょうか。もし本当に青年が、「時の遡行は偽りである」みたいな日記的文書を残していたのだとしたら読ませてほしいです。お願いだから。「こんなものでは私のイヴは」というセリフも事実か創作かわかりませんが、この寓話内でも青年はイヴを何とかする方法を探しているらしいことがわかります。


●七十五篇『無限』

無限と永遠って何が違うのでしょうね。無限は繰り返し、永遠は終わりなく続くものというフワっとしたイメージはあるのですが、それを人体の研究に当てはめるとなると難しい。


永遠…は、やはり不老(不死)ですよね。無限は…細胞分裂回数を無限にする、だと不老とかぶってしまうので、病気やケガで傷ついた身体を無限に修復する研究でしょうか。天の卵にそんな中ボスがいましたね。


文書内にある謎の単語「サイトカイン」を調べてみたところ、どうやら免疫細胞を増やしたり、身体の悪い部分に集めたりする体内物質のようです。(あまり自信がないので話半分で読んでください)サイトカインが免疫反応を活性化させ、免疫細胞が身体に入り込んだ病原体の排除や怪我を治すサポートをする…という流れ、だと思います。


しかし文書内のサイトカインは、何だか敵っぽい。しかも、人体の中どころか楽園の外にいるみたいです。


ところでサイトカインが活性化させる”免疫細胞”には、マクロファージという名称のやつがいます。マクロファージ。星核螺旋研究所の頂上で、問答無用で襲い掛かってきた謎の敵です。その時のガイストは、「楽園の怪物がまだ残っていたか」と言いました。


ガイストが「怪物」という言葉を使った発言は他にもあって、「希望は願いを糧に育つ魔物だ、やがて破滅という怪物に育つ」という内容でした。また別のレーベンエルベは、スクラップド・エデンが滅びた理由を「結局人間は希望を捨てられなかったから絶滅しちゃったんだ」と語りました。


これらを考えあわせると、希望=楽園で行なわれていた研究であり、免疫関連の研究を進めた果てに、サイトカインやマクロファージといった怪物を生み出してしまったのだと思われます。なぜあんな巨大なものが生まれたのかは謎ですが、たとえばガイアダスト=地球全体が病に侵されているようなものだと仮定して、地球の免疫細胞機能としてつくってみたのかもしれません。それが制御に失敗したか暴走したかで人間を襲うものになったと。全部想像です。


それはそれとして、話を読むと住民の”無限”は実現していたような気配を感じます。病気や怪我が無限に治るのだとして、赫き病は克服できなかったのでしょうか。


創作に出てくる”不死者”のむごい状態として、「酷い怪我を負っても修復され続けるので死ぬことができない」みたいな話がありますよね。もし赫き病が体を蝕み続け、けれど身体も修復を続け、痛みや苦しみを感じ続ける…。という状態が続いていたなら、かなりつらかったことと思います。


楽園内で生き続ける閉塞感に絶えられず、外へ出ることを望むも外には怪物が跋扈していて、怪物に重症を負わされるなどして楽園へ戻る。赫き病に侵されながら、身体は修復され続ける。そしてまた外への渇望にとらわれる…。それは確かに地獄のような繰り返しです。


寓話での無限は、青年の林檎によって終焉を迎えました。現実ではどうだったのでしょうか。心身の苦しみに耐えられず皆発狂した、みたいな最期でなければよいのですが。ファンタスマゴリアのノスタルジック・プレイヤーが、「もう私を作ってくれた人間たちのむごたらしい死は見たくありません」と話していたことを思い出してゾッとしてしまいました。


●百十八篇『失楽』

説話集の”最終篇”と書かれています。”永遠”を求めた青年の最期が語られます。


「彼が幾つの楽園をめぐろうと、彼の求めるものはどこにもなかった」

これはイヴをなんとかする方法のことでしょう。寓話内の青年が、イヴの治療・覚醒・蘇生・不老不死など何を望んでいたのかはわかりませんが、後半を読むと寓話内のイヴは亡くなっていたように思えます。


「棺の列はやがてほつれていき、果てには赤髪の青年だけが残っていた」

これまでの話には出てきませんでしたが、寓話内の青年もまた”棺の列”を作って旅をしていたような書きぶりです。おそらく、各話の最後で”楽園を後にした”と書かれていた人たちを仲間に加えていったということでしょう。寓話内のイヴが亡くなっていたなら、寓話内の青年の担いだ棺にはイヴが入っていたかもしれません。


「「死神がいるのならば…私をイヴのもとへ連れて行ってくれ。」青年が願うと翼の少女が現れた。少女が祈りを聞き届けると、蛇は忽ち赫き霧となって散っていった」

死神にイヴとの逢瀬を願うならば、寓話内のイヴは亡くなっていたのでしょう。翼の少女や、赫き霧となって散ったくだりは、物語を締めるための創作大発動だと思います。しかし、もし翼の少女のモデルが星の少女ガイアなら、彼女が死神の役柄であるという現実との符合にうすら寒さを覚えます。


「「イヴをそそのかした蛇は、きっと彼女に恋していたのね…。」かくして赤き蛇は、最後の楽園を後にした。」

寓話内でのイヴは妹設定だったようですが、青年が彼女に恋をしていただろうという文章を入れた理由は不明です。ソフィアに聞くしかありません。


そして、寓話内で青年がイヴをそそのかしたという内容は何だったのでしょうか。旅立ちの一篇には記述がありませんでしたが。白雪姫のとあるバージョンのように、林檎を食べさせていつまでも腐らず美しいままの死体にしたのでしょうか。林檎つながりだからありえるかもしれないです。ソフィア、アルジェーンにいるのだから質問させてほしいです。


最後に、『永遠』『増殖』『遡行』『無限』の締めくくりだった”楽園を後にした”という言葉が、楽園を去るのではなくこの世を去るという意で使われます。これで、『楽園の終わり』は終幕です。

___


5つ分あるのでさすがに長くなりました。こぼれた思考として、林檎の話を少し。


四十一篇『遡行』の最後に罪人へ差し出された林檎は、彼をころすためのものか、仲間として連れていく証のものだったのか判断に迷います。(他の楽園で遺った人は連れて行っていたようですが、罪人だから扱いが違うのかも) 寓話内での林檎は滅びをもたらすものと描かれている一方で、生き残る者もいるようで…。七十五篇『無限』で人々に林檎を与えた後、遺った乙女にかけられた「よく保ったものだ」という言葉は、やはり滅ぼそうというより助けようとしていたのでは?という風にも読み取れます。事実では薬だった林檎と助けようとした青年、寓話では滅びの林檎と悪しき蛇の扱いが、虚実ないまぜになっているのでしょうか。


***


それにしても、人類がこれほど生への執着を見せているというのに、最初の演算で導かれた結論を変更せずガイアダストを撒き続けた星の少女ガイアは愚直がすぎると思います。…いえ、状況によって移り変わるであろう”人類の総意”を都度演算するよう命令していなかったアニムスが悪いのでしょうね。


→最後の(7)へ